池ちゃん通信

2020/04/30【4月29日は「昭和の日」🎌】

昭和生まれの私にとって4月29日は

「天皇誕生日」という印象が強い。

そんな昭和天皇のお誕生だからと

デイサービスのご利用者様に

佐賀県因通寺での
昭和天皇と戦災孤児とのエピソードを
お伝えした。
 
話し終えると、あるご利用者様は涙を流し
 
また、ある方は突然、直立され
軍歌を大声で歌われた♬

この話を聴き入ってくださった皆さまの
昭和への様々な思いに
涙がこみ上げてきた。

そんな素敵な「昭和の日」でした。

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  昭和天皇は終戦後、国民を励ますための旅に出られ、全国を御巡幸されました。大陸からの引き揚げ者や戦災孤児のことを大変に気にしておられた昭和天皇は、引き揚げ孤児の寮がある、佐賀県の因通寺というお寺を訪問されました。

寮に入るなり、天皇は子どもたちに親しく声をかけつつ進んだ。

子どもたちも、この優しげな紳士をいたく気に入ったらしく、ゾロゾロと後をついて回った。

天皇は、禅定の間といわれる部屋の前で足を止め、ある女の子を見つめて時を忘れたように佇んだ。

侍従長は心配になった。

やがて天皇は引き込まれるようにして話しかけた。

見ると、女の子が手にしていたのは位牌だった。

「お父さん、お母さん?」

天皇は話しかけた。位牌は二つだった。
 
「はい。これが父と母です」
 
女の子は答えた。

「どこで?」

「父はソ満国境で、母は引き揚げの途中です」

「お淋しい?」

女の子は口元を引き締めた。

「淋しくありません。私は仏さまの子どもですから」

天皇は少し驚いて女の子の目を見つめたが、女の子はひるまずに続けた。

「仏さまの子は父にも母にも、お浄土でもう一度、会えるんです。だから父や母に会いたくなったら、私は仏さまに手を合わせます。そして父と母の名前を呼ぶんです。すると父も母も、私のそばにやってきて、私をそっと抱いてくれるんです。私は淋しくありません。私は仏の子です」

天皇は女の子をしばらく見つめたあと、部屋に入った。

右手の帽子を左に持ち替え、空けた右手で女の子の頭をゆっくり、時間をかけて撫でつつ、なおも話しかけた。

「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育ってくださいね」

言うなり、大粒の涙が一つ、二つ、こぼれ落ちる。

すると、ふいに女の子は呼んだ。

「お父さん?」

そこにいた大人たちは、言葉をなくして顔を覆った。

海千山千の新聞記者までが、嗚咽を抑えられない始末だ。

もはや天皇はあふれる涙を隠そうともしなかった。
 
寮を去るまで付いてきてしまった大勢の子どもたちに見送られ、天皇は因通寺を後にした。

皇居にお帰りになられた昭和天皇は、この時のことをこう詠まれました。

「みほとけの 教へまもりてすくすくと 生い育つべき 子らに幸あれ」

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